絶対に何かを間違えている中国の観光地

中国の鄭州(ていしゅう)という街に項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の戦った場所があります。この2人は紀元前200年頃に中国の覇権を争った英雄です。

私が訪れたのは項羽が陣営を構えた場所でした。そこは現在では覇王村と呼ばれている、戸数20戸ほどの小さな町です。特にここを目指していたのではなく、船を下りて坂道を上って行くとたまたまたどり着いただけです。ちなみに船を下りて反対の山を上れば劉邦の陣営に行けたようですが。

そこがかつて項羽が陣をしいた場所だと分かったのは、村のおじいさんが教えてくれたからでした。中国語が分からない私に、おじいさんは自分の指で地面に「陣」と書きました。漢字という共通の言語は便利なものですね。一発で私もそこが何であるのか理解できました。

そこには岩の壁をけずって高さ4、5mの穴がいくつも作られていました。奥行きは2メートルもあったか分かりません。それが2000年も前に項羽が陣営を構えた場所だと言えればよかったのですが、実はそうではありません。近代になって中国の人が作った、項羽の像を安置する場所でした。像は項羽だけでなく彼の愛した虞美人(ぐびじん)や誰か分からない人など数体あったと思います。

その人間ばなれした大きな像が現地の人によって祭られているかというと、どうもそのような雰囲気もなく、どちらかというと観光客向きの商売道具として存在しているように思えました。何もなければ村人はバクチクを売れませんし、わざわざやって来た中国人の観光客も納得できないのかもれません。
しかし彼らが歴史の地に手を加えたために、項羽の陣跡がどこにあったのか正確には分かりませんでした。
 
村の人は私にバクチクを売りつけようとし(その場でバクチクをならせという意味です)、離れた場所ではバクチクの音がうるさく聞こえていました。さらに彼らは私にその像に向かって頭を下げて拝めと要求するのです。私は彼らの言い方が要求だと感じましたが、しつこく言っていただけで、もしかすると中国では普通の物を売る態度だったのかもしれません。

もし私が項羽がとても好きで、しかも彼が陣をしいた場所がそのまま保存されていたならば、中国式の土下座のような方法で項羽に敬意を表したかもしれません。でも私は項羽にそこまで興味はありませんでしたし、何よりも昔の面影をまったく留めていない陣跡が残念でなりませんでした。あんなわけの分からない巨大な像を並べなくていいのに。
 
遺跡は遺跡として残してほしかったです。せめて当時の陣の様子を再現した人形を置くなど、もう少し方法はあるのではと嘆かずにはいられませんでした。

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